終わり |
茨木童子を調べてきて、私が考えたことを述べます。 出生譚にある、彼が生れたとされる水尾村は愛宕山の傍にあります 愛宕山は劔巻で鬼女が帰るといっていた山です。 捨てられた九頭神という地名は元々茨木神社の末社、国主神森神社の神殿とされる森のことをさしていたそうです。 太平記での茨木童子は牛鬼姿。茨木神社の祭神は牛頭天王。 関連がありそうです。 牛頭→九頭の可能性もあります。 スサノオと八俣大蛇を暗にさしているのかも知れません 酒呑童子は八俣大蛇の子孫とも申し子とも言われているからです(伊吹童子系) 古典を踏んでいるあたりそれ以後のものとわかります。 また出生譚が古くからある話であれば、室町時代から江戸時代成立の御伽草子に全く出てこないというのも可笑しな話です。 御伽草子自体は失われた部分が多いのでなんとも言えませんが。 茨木童子の名が盛んに文学に現れだしたのが江戸末期から明治にかけて。 この間につくられたお話と考えても間違いはないと思われます。 出生譚のページでも語りましたが、内容が非常に普通で庶民的です。 伝説が盛り込まれているわけでも神様が絡んでいるわけでもありません。 古典らしさにかけるわけです。 その上教訓話でもないので話の目的は本当に茨木童子の出生だけです。 摂陽群談では酒呑童子が養親になっていましたが、出生譚に含まれる部分ではすでに使えるべき主人になっています。 つまり茨木という地名と名前を重ねて作ったのでしょう。 以上により村の知名度を上げる村興しのお話である可能性が高いと考えられます。 結論 摂陽群談を元に考えだされたお話。 方向性は古典を踏まえながら親しみやすくシンプルに。 |
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