平記



軍記物語。四〇巻。小島法師の作との説がある。
何度か補正を経て、1371年頃成立したと考えられる。
鎌倉時代から南北朝時代までの約50年に及ぶ全国的動乱の歴史を叙述する。
通常3つの部分に分けて考えられる。

昔、京都府京都市左京区宇多野の大きな森に毎夜化け物が出て人々に多大な被害を与えていた。
頼光は話を聞いて渡辺源五綱に、退治してこいと命令して、大事な太刀まで与える。
そんなわけで綱は命令どおり装備も整え準備万端で毎夜森で化け物を待っていたのだが現れない。
さては俺が怖いんだな?と考えたのか、綱は女装して森を通ってみた。
すると急に曇り、森の上に何かが跳ぶように見えたと思った矢先、空中から綱の髻を掴んで飛び上がった。
待ってました、といわんばかりに綱は例の太刀を抜いて、宙を大きく横に払うように斬ってやった。
雲の上からあっと叫ぶ声がして、綱の額に血が降りかかり、化け物の腕、肘下を斬りおとすことに成功したのだった。
綱は腕を頼光に渡すと、頼光はそれを朱の唐櫃に収めて、夢解きの博士、つまり占い師に相談する。
七日間の物忌みが必要であると言われたので、頼光は門を閉め周りを固め厳重に閉じこもった。
物忌みが七日目の夜、大阪府八尾市から頼光の母君が。
物忌みの最中だったが老母がはるばるきたんだから…としょうがなく邸内に迎えおもてなし。
ついつい飲みすぎた頼光は、酔って口が軽くなったか腕の話をぺらぺらと。
それを聞いた老婆は怖い怖いと言いながらも見たいと言い出した。
酔った頼光は物忌みしているのをスッカリ忘れてアッサリ見せる。
老母はこれを興味深げに見ているフリをしていたが、いきなり自分の腕だ!と言い出して。
切られた腕をくっつけて、あっと言う間に大きな牛鬼に変身!!
何故か酌をしようと立っていた綱を左手にぶら下げ空に飛び立った。
酔ってもさすがは武士。頼光は例の太刀を抜いて、何故届いたのかは不明だが鬼の首を斬り落とした。
切り離されても動く首は頼光を襲ったが、太刀の切っ先に貫かれ最期となる。
しかし首なし胴体は、しばらくは綱を離さずに、天高く昇っていった。

以上!
……綱はどこに行ったの?




鬼丸鬼切の事

   
昔大和国宇多郡に大なる杜あり。
その陰に夜々に反化の物あつて、往来の人を食ひ、牛馬六蓄をつかみさく。
頼光これを聞きて、渡辺源五綱と云ふ者に、かの反化の物を誅ちて参れとて、秘蔵の太刀をぞ玉はりたりける。
綱、頼光の命を含んで宇多郡に行き、甲冑を帯びして、夜々件の森の陰にして待ちたりけるに、この反化の物綱が勢いにや恐れけん、あえて眼に遮る事なし。
綱、さらば形を変えて謀らんと思ひて、髪を解き乱し、おほひ鬘を懸け、金黒に太眉を作り、薄絹をうち被いて女の如くに出で立ちて、朧月夜の明ぼのに森の下おぞ通りける。
俄に虚空掻き陰りて、森の上に物の翔るように見えけるが、空より綱がもとどりをつかんで、中に提げてぞ上がりける。
綱件の太刀を抜いて、虚空を払ひ切りに切つたりける。
雲の上にあつという音して、血の額に颯と懸かりけるが、毛の生ひたる手の、指三つありて、熊の手の如くなるを、二の腕より切りてぞ落としたりける。
綱この手を取りて頼光に奉る。
これを朱の唐櫃に収めて置かれける間、占夢の博士に問ひ玉ひければ、七日が間の重き御慎みとぞ占い申しける。
これによって、頼光門を堅く閉ぢて、七重に木々綿を引き、四方の門に十二人の番衆をすゑて、夜ごとに殿居蟇目をぞ射させける。
物忌七日に満じける夜、河内国高安より、頼光の母儀とて門をぞ敲かせける。
物忌の最中なれど、老母の対面のためとて遥かに来たり玉へばて、力なく門を開き、内へ誘ひ入れ奉って、珍物を調え、酒を勧め、様々の物語どもに及びける時、頼光いたく飲み酔いて、この事をぞ語り出だされける。
老母持ちたる盃を前に閣きて、
「あな怖ろしや。我が傍の人もこの反化の物に多く捕はれて、子は親に先立ち、婦は夫に別れたる者多く候ふぞや。さても如何なる物にて候ぞ。あはれ、その手を見ばや」
と所望せられければ、頼光
「安き事にて候ふ」
とて、唐櫃の中より件の手を取り出して、老母の前にぞ置きたりける。
母これを取りて暫く見るよししけるが、我が右の手の臂より切りたるを差し出して
「これは我が手にて候ふ」とて、切株に差し合はせて、忽ちに長二丈ばかりなる牛鬼に成りて、酌に立ちたる綱を左の手に提げて、天井の煙出より上がりけるを、頼光件の太刀を抜きて、牛鬼の頚を懸けず切つて落とす。
その頚頼光に飛び懸かりけるが、太刀を逆手に取り直して合はせられければ、その頚太刀の鋒に貫いて、つひに地に落ちて、忽ちに目をぞ塞ぎける、その質はなほ且くは綱を捨てず、破風より飛び出て、遥かの天に昇りけり。

新編古典文学全集 『太平記 4 (巻第三十二)』

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